一つ目は、よくできている。二つ目も悪くない。三つ目を読んだあたりで、どこかで会った気がしてくる。
それぞれは魅力的なのに、並べると違いが小さい。そんなことは起こりうるのだろうか。創造性を、一人ずつの点数だけで測ると、この問いは見えにくい。
Anil R. DoshiとOliver P. Hauserは、短い物語を書く実験で、作品の評価と、作品同士の似かより方を別々に調べた。そして、個人にとっての改善が、集団全体の多様さと、同じ方向に進むとは限らないことを示した。[1]
白紙に、三文の足場を
参加した293人は、八文の英語の短編を書く。AIを使わない条件、GPT-4による着想を最大一案受け取れる条件、最大五案まで受け取れる条件へ、無作為に分けられた。
AIに完成稿を書かせる実験ではない。受け取るのは三文の出発点で、それをもとに人が物語を作る。自由に相談を重ねることも、好きなプロンプトを試すこともできない。白紙の前に、小さな足場を置く実験だ。
出来上がった作品を、別の600人が評価した。AI利用の有無を知らされない段階で、新規性や有用性などを採点する。最大五案の条件では、AIなしに比べ、新規性の評価が8.1%、有用性が9.0%高かった。[1]
ここでの有用性は売上ではない。対象読者に合っているか、長い本へ発展させられそうか、といった読者の評価である。また、最大五案といっても、全員が五案を使ったわけではない。受け取れる選択肢を設けた効果を見ている。
何も浮かばない時間が、書き始められる時間になる。少なくともこの課題では、AIから受け取る着想が、作品の評価を押し上げた。
新鮮な一編と、似てくる本棚
ところが、作品をまとめて見ると、もう一つの変化があった。
研究者は文章を数値表現へ変換し、同じ条件の作品群の中で、どのくらい内容が似ているかを調べた。AIの着想を利用できる条件では、AIなしより、作品同士の類似度が高くなっていた。一人ひとりの作品への評価が上がることと、作品群の幅が保たれることは、別だったのである。
この二つは、矛盾しない。一編が新鮮に読めるか、という問いと、他の何十編にもない場所へ行っているか、という問いは違う。よい本が増えることと、本棚の行き先が増えることは、必ずしも同じではない。
だからといって、みんなが同じ物語を書いたわけではない。測ったのは、文章の埋め込みを使った類似度の変化だ。盗作を判定したのでも、すべての題材や文体が同一になったと示したのでもない。「AIで個性が消える」と言い切るには、ずいぶん先を走りすぎる。
八文の短編、特定のモデル、固定された依頼の仕方。プロの作家が何か月も推敲する場合や、音楽、商品企画にも同じ結果が出るかは、まだ別の問いである。
よい案を、何種類持っているか
ここからは、このねじれを仕事へ引き寄せて考えてみたい。
企画案を一つずつ採点する。どれも以前より整っている。読みやすく、抜けが少なく、説明も通る。それは歓迎してよい改善だ。ただ、最後に並んだ案が、同じ顧客、同じ問題、同じ解決の仕方ばかりを見ていたら、選択の余地はあまり増えていないかもしれない。
この場合、「もっと案を出して」と頼むだけでよいのだろうか。似た場所で候補が増えれば、選ぶ仕事だけが忙しくなる。豊富な選択肢と、大きな束は、見た目がよく似ている。
試してみたいことはある。AIの案を見る前に、それぞれの出発点を書いておく。異なる現場の例を持ち寄る。完成度とは別に、何が違う案なのかを確かめる。ただし、これらは本研究で効果が確認された処方箋ではない。多様性を保つための仮説として、実際に比べる必要がある。
逆に、あらゆる仕事で多様性を最大化したいわけでもない。定型文が毎回斬新だったら困るし、避難経路の案内に作家性は求めにくい。そろえることが価値になる仕事と、違う可能性を探したい仕事を、分けて考えるほうがよさそうだ。
個人がAIの助けを借りる判断は、合理的でありうる。その改善を一律に疑う必要はない。一方で、集団として何を持っているかは、誰か一人の成績表には載らない。そこを見る役割は、別に要る。
この論文は、AIを使うか使わないかの二択より、少し面倒で、少し豊かな問いを残す。自分の作品がよくなったことを喜びながら、隣の作品との差にも目を向けられるか。
平均点が上がった本棚で、私たちはまだ、思いがけない一冊に出会えるだろうか。
