便利な道具は、使っているあいだ、私たちを助けてくれる。では、使うのをやめたあとには、何が残るだろう。
ファイル。作業時間の短縮。少し立派になった資料。それらとは別に、自分では思いつかなかった解き方が、いつしか当たり前になっていることはないか。教わった相手の名前を忘れても、やり方だけは手元に残る。
AIとの関係を、利用中の生産性だけで測らない研究がある。Levin Brinkmannらが問うたのは、機械の発見が人間に伝わり、その人から、機械に会っていない別の人へ渡っていくか、だった。[1]
最初に損をする道
実験で参加者が取り組んだのは、点と線でできたネットワークを進み、得点を集めるゲームだ。十手先までに、できるだけ多くの点を得たい。ただし、すぐに得をする道ばかりを選んでいると、最高の報酬へはたどり着けない。最初に少し損をする道の先に、大きな得点が待っている。
勝つために、一度負ける。文章にすると簡単だが、目の前の損失を引き受ける一手は、案外出てこない。
英米の参加者1,155人を用いた実験では、30の集団に五つの世代を設けた。一世代には八つの参加枠があり、半分の集団では初代の三枠を、深層Q学習で訓練した機械プレイヤーに置き換えた。AIが参加するのは、そこだけだ。後の世代は、前の世代の成績を見て手本を選び、その動きを観察・再現し、同じネットワークを自分でも解く。その学習を経て、次の世代へ手本を残す。
ここでの世代は、親子ではない。参加者を交代させる、知識のリレーである。AIは毎回横に座って助言してくれないし、困ったときに呼び戻すこともできない。
発見できなくても、受け継げる
人間だけの条件では、600人のうち、自力で最適な戦略を見つけたのは一人だった。一方、初代にAIがいた15集団のうち九つでは、その戦略が最終世代まで保たれた。残る六つでは、いったん人間に伝わったあと、途中で失われている。[1]
この九つと六つの差を、成功と失敗の集計で済ませるのは惜しい。九つは、機械がいなくなっても、その発見が人の営みとして続きうることを示す。六つは、優れた解法を一度見せれば、それで文化が更新されるわけではないことを示す。
難しいのは、最初の発見だけではない。次の人へ渡ることも、別の難しさを持っている。
たとえば、手本を見ても再現できない方法なら、AIはいつまでも必要になる。再現できても、その方法のよさが見分けられなければ、次の手本として選ばれないかもしれない。著者らは、発見の難しさ、伝達のしやすさ、優位性の見えやすさを分けて考え、条件が崩れた場合をエージェントのシミュレーションでも検討している。
ただし、人間が試した課題そのものは、この三つがそろいやすいように設計されていた。現実の仕事で、何が優れたやり方かが数分で分かるとは限らない。手応えは半年後、理由は退職者しか知らない。そんな引き継ぎは、今回のゲームよりずっと手ごわい。
答えの保存と、腕前の保存
ここからは、この研究を手がかりに考えてみたい。
AIを使ってよい成果が出たとき、私たちはその成果物を残す。もう一歩進めて、プロンプトを保存することもある。それでも、次に似た問題が来たとき、何を見て、どこを疑い、どの順番で試すかは、まだ誰のものにもなっていないかもしれない。
答えを保管することと、解ける人が増えることは違う。
ここで欲しくなるのは、何でもマニュアルにすることではない。最適な解法が見つかるたびに百ページの手順書ができたら、知識の継承より先に、読む時間の継承が必要になる。大切なのは、次の人が実際に試せる単位まで、発見がほどかれているかだろう。
一方で、学べる形にならない優れた機械の能力にも、十分な価値がある。人間が計算機と同じ速さで計算できるようになる必要はない。すべてのAI利用を人間の技能向上に結びつけるのも、別の窮屈さを生む。
だから、まず分けて眺めたい。これは能力を借りる仕事なのか。自分たちのやり方を変える機会なのか。どちらもありうるが、残るものは同じではない。
この実験は短い人工課題であり、長年の組織文化を測ったわけではない。機械には人間より桁違いに多く探索する機会があった。「人間には原理的に発見不能だった」とも言えない。それでも、見つける力と、受け継ぐ力を分離して見せた点に、静かな驚きがある。
AIが教えてくれた方法を、AIに会っていない誰かが使っている。そのとき、私たちは何を導入したことになるのだろう。
